アメリカでのジェンダーとマイノリティーの取り扱い方
2016年9月10日土曜日 アメリカ ジェンダー マイノリティー
アメリカでは様々な人種が存在しているのでマイノリティーに対する扱いは大変注意しています。またジェンダーに対する注意も払っています。言葉使いについてもかなり神経質になっています。私達が一般に「黒人」なんて言うと今はあまりよくないようです。時代によっては「黒は美しい」とまで言っていたのですが、「『黒』ってよく見たら黒じゃないじゃん」になり、今は一般的には「アフリカ系のアメリカ人」という表現をしているようです。
ジェンダーも厳しいですよー。なんで「マン」と「ウーマン(マンにくっつけた感じが嫌らしい)」なんだ? 「メール」と「フィーメール」にしなさい。人類の意味で「マン」を使うな! ヒューマン・ビーイング」にしなさい・・・・更に「ヒューマン」にも「マン」が入ってる!これも変えなきゃ・・・など。
インディアンに対しては「インドの人」となり昔アメリカをインドと間違えたところからそのまま使われてしまっているためにこれを「ネイティブ・アメリカン(本来のアメリカ人)」と言い直しているのはよく知るところです。
コマーシャルや映画などに使われる登場人物、そしてその配置にも気を配っています。
特に黒人や女は差別されて来たというイメージに対する配慮から一番敏感に取り扱われます。
黒人→肉体労働
女→夫を優先し家事と子育てに専念
さらに、
金髪女→低IQ、肉体美で勝負
このような典型的パターンはいろいろとあると思いますがそのパターンに連想させないように公共では気を配っているのがよくわかります。
となると・・・広告で中心に入ってくるのは黒人女性・・・となるわけです。こうすれば一応無難で非難される事がありませんからね。気をつけてみると結構このパターン、よく見かけます。そしてその端っこに少しお茶らけた白人アメリカ男がのっていたりします。
そしてハリウッド映画の配役も、黒人男性はどちらかというとコンピュータに詳しい、あるいは参謀的役割を果たす知的な役につく機会が多くなり、金髪女性は知的で活動的な役につく事が多くなります。配役はとくにマイノリティーに対する気遣いを感じられます(その点あまり東洋人には配慮は少ないようですが)。しかし、それにこだわりすぎると現実から遊離してしまう可能性もあります。
この差別問題、以前に比べ人間の心の質は向上してあまりこだわらないようになってきていると感じてはいるものの、心の闇(認められてない、愛されてないところから来る)と無知から来る差別意識はまだまだ存在しています。事実私も何度もアメリカで中国人としての差別扱いを受けてきました。まだ残念ながらそれにとらわれている人たちも身の回りに存在します。
大切なのは心の質を高めることであり、あまりにもこだわりすぎて現実から遊離してしまうのはどうかと思います。こだわりを持たず自然のままにとらえ交流する。こだわりすぎるとまた別の差別を生む。差別的発言や行動にはわからせるように顔をしかめる。自然のままでいるように心がけることが大切なのではと思うのですが・・・ (こりゃあ大変複雑な問題のようです)
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