優しい男と結婚する是々非々
女が男に求めるのは〝やさしさ〟なんでしょうか?
今回は、女が男に求めるのは「優しさ」であるという仮説を立てて客観論を飛ばしてみたいと思います。まず某婚活サイトによるアンケートによると、結婚したい男の一位は〝優しさ〟であるようです。ただしこれは、年収や年齢、職業などの属性的な条件を対象としたリサーチではなく人間像にフォーカスしたリサーチであり、つまり、おもしろい男よりも強い男よりもかわいい男よりも…優しい男であることがもっとも女子ウケが良いという結果です。
「理想の結婚相手に求める条件として、男は常に「美人」や「スタイルのよさ」を上位にあげるのに対し、女は「やさしさ」を上位の必要条件にあげることは雑誌等のアンケート結果でごく普通に見られる傾向ではないでしょうか?
そういえば、私の知人の結婚式でのエピソードでも同様の結果を目にしました。
彼女が結婚した決め手は彼の「人柄の良さと優しさ」だったそうです。で、その女性が更新しているブログを私は知っていて、しばしば読みふれる機会があるのですが、彼女のブログには、結婚の条件は「優しさ」だったと語られています。他に言いようがないようです。
婚活などで年収や職業を一番の決め手にする女性が存在する一方で、優しさという人間的な魅力を一番の決め手にした知人女性。そして、前述の某婚活サイトのアンケート結果。……近年、戦略的かつ合理的に成婚、成功させるのが結婚だと思わせる風潮が少なくないと感じるのですが、まだまだ実際には胸キュンのときめきや優しさへのときめきに恋心がめばえ、そして愛がはぐくまれてゆくような素敵な結婚ストーリーが存在することは、男として、なんだか嬉しくってしかたありませんね。
余談ですが、専門家の意見によると動物の世界もやはりオス(特に群れのリーダー)はメスに対して優しくなければならないということが重要な条件だそうです。
考えてみれば、人は優しいのが一番だと思いますね。
其の昔「男は強くなければ生きていけない。優しくなければ生きていく資格がない」と言うキャッチコピーを聞いたことがあります。けれども、当時は「強さ」と「優しさ」が噛みあわなかったんです。強さと優しさ、相反するはずなのに二つが共存しなければ男としての価値はない?
は……?
――当時、優しさと強さとは二律背反ではなく、表と裏があって一枚のコインであるような一体性について理解できなかったのは、私自身の男としての若さであったんだろうと思います。
今、久しぶりにこの文句を思い出してみると、あぁ、やっぱり「優しさ」って大事だなと思います。
じゃ、自分にとって「優しさ」は何かというと、「人のため」です。でも相手におもねるのではなく、本気で幸せになって欲しいと思った時の気持ちですね。だから、軟らかい「優しさ」もあるけど硬い「優しさ」もあると思うんです。
女に求めるのも「優しさ」ですね。
何でもしてくれると言う優しさではなく「毅然とした優しさ」がいいですね。個人的な願望ですが。
ところで、日本人の「優しさ」に対するこだわりについて知った上で、欧米人だと相手に対する要求はどうなるかと考えてみました。
「優しい人と結婚したい」と、そんんふうに表現する機会が多い日本人ですが、欧米人はどんな表現を多用するのでしょうか?
調べてみると、日本語の「優しさ (accommodating)」という言葉は出てきませんでした。「愛情」を意味する「affection」はありましたけど。
ここでわかったことがあります。欧米人は具体的に「優しさ」と表現するよりも、精神的に細かく要求するようです。例えば、「喧嘩した際には貴方が先に折れるべきだ」とか「テレビばかり見ていないで、少しは私にも構って!」とか、そんな感じでした。べつに恋愛を比較文化論的に論じても面白くないとは思いますが、日本人の「優しさ」について分析するとどうのようになるのか知りたいところですね。
さて、優しさを決め手に結婚した女性に対立する意見の持ち主が存在します。
これまた私の知人女性なのですが、彼女は結婚という大きなライフイベントについて相当深く論じることができる女性です。その彼女が、結婚相手の優しさについて述べてくれたことを要約すると以下のようになります。
――日本の女性が結婚する際には相手の「優しさ」で決定するとありましたが、私にはその日本的な「優しさ」は理解出来ません。例えば、私が考える日本女の「優しいから結婚した」という言葉が含むパラドックスを挙げてみると以下のようになります。
- その相手の男には「優しい」という長所しかない。
- 「優しい」男ならば誰でも良かった。
- 実際には、その「相手の男にはこれと言った特別素敵なキャラクターはないが披露宴で質問されたら何と答えようかな?」と考えているうちに閃いたのが「優しい」と「人柄が良い」だった(間に合わせ的な理由付け)
- 何故、結婚したのか本当の理由が言えない場合には「優しい」で言い訳しておく。彼以上にもっと「優しい」男が現れたら、その人と結婚する可能性はあった。
- 誰でも相手に好かれたいという気持ちから、自然的に「優しい」を演じてしまう人間の本性を知らない(偏屈な人は別として)
- 初恋の「わがままで冷たい男」に振り回されてトラウマになってしまった(ならば仕方が無い)
- 「優しい」にも種類がある。
- 恋愛経験が少ない(男と真面目な会話をした事がない)女は男からの「優しさ」だけで落とされてしまう(もしかすると彼のそれ以外の良いキャラクターが見えない)。
- 何故、その相手が好きなのかを多分、自分でも分かっていない(心で感じていても言葉では表現出来ない)
- かつて流行した土居健郎の「甘え」の構造にある典型的日本人の「甘え」のイメージがある。
こんなクールな意見を持つ彼女ですが、彼女には彼女なりの〝優しさの定義〟があるみたいです。
私なりの〝優しさ〟の定義
- 自分が人生の中で価値観として大切にしている事柄を相手の男も大切にしていること。
- Sexologyに関する本を読んでいて納得出来るのは、恋愛上で相手を決定付ける要素として必ず4種類のchemistry (emotionally, mentally, physically, soul) という脳内の科学反応が加わり、お互いに精神的に感化し合い価値観を高め合う事が出来る相手であること。
- そのままの自分を認めてくれる相手ならば、何をされていても「優しい」と感じること、そしてゆるし合えること(相手に求め過ぎないで、精神的に自立すること)
- 「優しい」、「結婚」、「好き」は直接的にはそう簡単に結び付かない。
いかがでしょう? こういう訳で、日本人が口癖のように言って求める「優しさ」には簡単には理解出来ない位の興味深さがありますね。
はい、ここで次のようなワンシーンを描くので思い浮かべてみてください。
会議が終わったあとのパイプ椅子の片付けに追われている女性社員がいました。その場に居合わせたイケメン男性社員が「手伝うよ!」と腕まくりをしてイスをヒョイと持ち上げて片付けてくれているシーンです。
その瞬間…女性は「あ、なんかいいことあるかも」と、キュンとした気持ちになります。
このようなさりげないシーンに色々なメッセージが読み取れますよね。
その女性は明らかにその男に対して好意を持ったように描かれています。ではなぜ彼から彼女は好意を持ったのでしょうか。私なりに考えてみると、
- 彼がハンサムだから
- 彼が手伝ってくれたことに「優しさ」を見出したから
- 彼に人の分までやってくれる「たくましさ」を感じたから
- 彼がもしかしたら私に好意を持ってくれているのかもしれないと思ったから
では、この逆はどうでしょうか?
女が男のイスを持ってあげる・・・そこに男は「優しさ」を感じるのでしょうか・・・ これを「感じる」と素直に認めるようになるまでにはまだ少々時間がかかりそうです(笑)。
そこに表現される「優しさ」、そしてそれを感じそれを受け入れるかどうか、という事柄については、今のところ私は性差をやや感じます。それは人として基本的に持っている「優しさ」とは少し違うのではないかと思ったりするのです。
ネット上から再び「優しさ」について調べてみますと、キーワード「優しさ 男」でいくつもヒットします。
イコール、そのこと自体が如何に恋愛においての重要な要素になっているかを思い知らされます。その中の上位にある二つの男側と女側からの恋愛に絡むページについて見てみます。まずは女側から。「男の優しさ」について取り上げていますよね。「優しいだけじゃ、普通のいい人どまりな気もするけど、こまめな優しさは絶対好印象だよね。」だそうですね。そして本物の優しさには「たくましさ」(女側から見れば「頼もしさ」)がそれについてくるようですね。次は男側からのご意見。 「『女はともすれば具体的な行為にしか感応しない種族であって、次元の高い精神的な優しさを解ろうとしないことの方が多い』ということです。これから考えますと、女にモテようとするなら、より具体的に女が喜ぶことを目に見える形でしてあげれば良い、ということになるのです」
あ〜、知らね。これは私の意見ではありませんので(苦笑)。きっと反発を受けるものだろうと著者の方は「本音で」と言っておられます。しかしながら客観的にこの二つの意見を比較すると共通しているように私は思えてしまいます(ーー;)
まだあります、「女は+α『優しさ』を男に求めます。これはある意味、『私のわがままを包み込んで!』という希望に対する包容力を求めているものと言えます。」 そして「『私にだけ優しい人』が好きなのです(^.^)」だそうで。ほぉ〜、人間の持つ基本的「優しさ」とは少々異なりますね。
そういえば男に求める「優しさ」を別の言いかえをすれば「包容力」となる、と意見も散見されましたし、この「包容力」という言葉の裏はどうしても「甘え」が前提にあるように感じてしまいます。「あなたにとっては受け入れにくいこともやってしまうかもしれませんが、それでもどうか受け止めてやってね」と解釈してしまいそうになるのですが・・・。
これが男が女に求める「包容力」となると、「疲れ果てた時にはこの自分をどうか受け止めてやってくれ」という母親的な意味合いを私個人においては持つように感じます。もちろん「男のワガママ」という言葉もあるようにその「ワガママ」にはそれに付き合う「包容力」のある女がそこに存在するわけで、それを考えると似ているとも言えますよね。しかしながら「甘え」を前提とした「優しさ」だけでなく「たくましさ」「頼もしさ」が一緒になった本当の優しさが求められるとは、よく言われるところです。
優しさを人の形容に用いることは日常的に繰りかえされることでありながら、実は優しさほど複雑怪奇なものはないのではないでしょうか?
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