マトリックスに自分の存在意識をかさね見る
果たして今自分の見ている世界は本当に存在するのだろうか・・・ここら辺は中学校か高校の時の国語の時間などで取り上げられて、昔の中国の哲学(老子など)に出てきたのを覚えています。
今見ているのがもしかしたら夢で、さめたら別の世界があるのではないかと・・・
私は中学校の時に家でゴロゴロとしていたときにその事が不思議に気になりました。今見ている、感じている世界はもしかしたら幻なのではないか・・・
すると一切のものが幻のように見えてきたのです。ここにあるものを否定しようと思えば否定できるような気がしてきました。そのように否定をしてみてもどうしても否定できないものがありました。それは今否定しようと考えているこの自分の存在です。この考えている自分はどうしても否定しようが無く存在していることは実感も含めはっきりとしていました。
つまり自分だけは存在している、生きているということだけははっきりしたときにわいてきた感情は「孤独」でした。なぜならば他とのつながりを持っているという連帯感の意識を実感できなかったからです。
つまり、宇宙に自分だけがぽつんと取り残されたような恐ろしい感覚でした。「やべぇ、オレ生きてるよ・・・」という恐ろしさです。
この恐ろしさから逃れるためには、個々の意識は孤独な存在でなく、互いに連帯的な意識のつながりがある、ということが必要とされると実感しました。そしてその連体意識の根源となる第一原因(神)の存在は必要とされると・・・
まあこれは大変観念的な話しで、実際にはこのようなことは一笑に付されるところなのですが、「マトリックス」という映画の世界を見ていると果たして私達の今住んでいる世界は一体なんだろうかと考えてしまいます。
映画「マトリックス」は、今私達が体の五感で感じる世界が実はマトリックス(仮想世界)であったというところから始まっています。そして実は人間の体はカプセルに入れられて人工知能に管理されており、人間の脳には人工知能がアクセスする端末機が差し込まれて管理されていというのです。人間の意識はその人工知能の作り出したバーチャルの世界に住み込んでおり、そのバーチャルの世界以外に世界があるとは全く考えもしないという話しです。
現在、科学の発達と共に私達の世界がどんどん小さくなっています。その場に居ながらにして世界の情報を知ることができます。そして動かなくても得られる情報量はインターネットの発達によってどんどん増えています。
そしてこれらがやがて視覚だけでなく、他の五感でも感じる事のできるようなソフトとハードが開発されていけば、そのうち居ながらにして他のところへ行ったと同じような体験をする事ができるかもしれません。 身の回りにどんどんコンピュータの脳を取り入れた家電が増えていきます。私達の体を動かす必要性はどんどん少なくなっていきます。
そしていつか・・・自分の脳にコンピュータがアクセスできる端末機を挿す・・・そういう時代がやってくるのかもしれません。 実際に以前脳神経外科医ワイルダー・ペンフィールドがてんかんの患者の脳に電極を当てて様々な不思議なビジョンをその患者から引き出したという有名な話があり、すでに人の脳に直接刺激を当てての実験は済みという状態です。倫理的観点から人体実験は今はなされていないと思いますが、もし人々がそのような倫理を捨ててしまえば、「マトリックス」の世界観が生じる可能性が出てきます。
実際に今インターネットは私達の世界をかなり小さくしてしまいました。インターネットなしでは生きていけない人も沢山いることでしょう(笑)。もうある「機械」なくしては生きていけないというような状態ができつつあり、やがてその状態が増えていけば機械にコントロールされるような状態になるのかもしれません。
このときに果たして人間の意識が脳から生み出された産物なのか、ということを考えます。もしそうならばマトリックスの世界は実現する事が可能になるかもしれませんが・・・ そういえば立花隆の著「臨死体験」の中で、ペンフィールドの実験で、彼が実験中にもし被験者に「隣の部屋に何があるのか見てきてくれませんか」と尋ねていれば・・・」という話は実に悔やまれますねぇ。さて・・・ここから先はさらに難しくなるので・・・やめときます(笑)。
参考
マトリックス 特別版 [DVD]
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