夫婦の嫉妬と喧嘩をトルストイで深掘りしてみる

2016年8月27日土曜日 嫉妬 夫婦喧嘩

大恋愛をして、幸せな結婚をして、子供もつくり、本人は貞操を貫いていたはずなのに・・・妻を殺害してしまった男の自分の過去を分析していく興味深い話がトルストイのクロイツェル・ソナタです。

当時は精神分析やカウンセリングもなかったと思うのですが・・・そんな中トルストイが分析していくその過程は、社会批判・人類批判までに及び、さすが文豪と思わされますね。

ハネムーンでは禁欲も解消されて2人はラブラブのはずであったのに・・・夜の夫婦関係のことで2人は今までにない憎しみをあらわにして「喧嘩」してしまったのでした。ところがその後男曰く、「最初のうちはこの敵対的な関係が、ふたたびもやもやと立ちこめた欲望によって、つまり恋愛感情によって、すぐに覆い隠されてしまった」というのです。

すぐに仲直りしたかと思ったわけですがその「喧嘩」は再びやってきました。それはお互いの欲求が「飽和状態」になり、お互いをあまり必要としなくなった時でした。

きっかけは男もおよそ考えられないようなところからで、お金が原因でした。もともと男はお金に執着しないほうでしたが、妻にとっては男の小言が妻をお金で支配しようとしているようにとられるように感じたのでした。男にとってはそれは不本意なことだけに妻に対してデリカシーのなさを非難しました。またもやお互いの敵意がむき出しになった瞬間でした。

そしてまたいつの間にかそれは肉体的な欲望の陰にうやむやになり・・・・そしてまた「飽和」とともに「喧嘩」と・・・・繰り返す。さすがにこれは男もこれは偶然ではなく当然のことで今後も続くものなのだと思いはじめました。そしてこのようなことは他の夫婦には起こらず、このこと自体恥ずべきことなのだと思い自分のうちに秘めていたということなのです。

そして最初の何週間かで男は「俺はひっかかったのだ」と思い始めたのでしたが、なかなかその本質的なことに気がつかなかったと言うのです。

さて引用していきますよ〜。

結婚なんて幸福でないばかりか、何かとても辛いものだ、と感じたのですが、それでもみなと同じように、それを認めようとせず(あんな結末がなければ、今でも認めずにいたでしょうがね)、他の人たちだけではなく、自分自身にさえ隠していました。どうして自分の本当の状態に気づかなかったのか、今では不思議でなりませんよ。

終わったあとでは何が原因だったか思い出すこともできぬような、下らぬきっかけから喧嘩がはじまるという、それだけの理由からでも気づきそうなもんですがね。(略)しかし、それにもましておどろくのは、仲直りの口実のいい加減さでしたね。時には言葉や、釈明や、涙さえ見られることもありましたが、時には・・・・ああ!今思い出しても気色がわるくなりますよ。この上なく冷酷な言葉をぶつけ合ったあとで、突然、無言のまま互いに見つめ合い、ニッコリして、キスして、抱き合う・・・・どうしてあの当時、あんなことの醜悪さに気づかずにいられたんでしょうね・・・・」

自分の中で貞操を貫く人であれば、やはりこの性欲によって仲直りし、今度はそれによって喧嘩もする。しかしそれは美徳によって隠され、その欲求の部分を見つめようとしないのですが、トルストイはそれを暴露したいかのように力を入れてあります。本当にそうなんでしょうか? なかなか若いカップルにはこの意味がわからないかもしれませんかが、私は個人的にはこれは「その通り!」と言いたくなりましたね(笑)。それは個人個人によってはちがうでしょうが・・・・

まず、このトルストイの取り上げているカップルは経済的にゆとりがあり、仕事などしたりしない贅沢な環境の中での話しなのです。他にする事がない・・・ならばそんな短期間で仲直りもあるかもしれませんね。

一般の状況で考えて見ると喧嘩した後のすぐにはもちろん性欲では仲直りはしないことが多いでしょう。しかし人間爆発した感情をいつまでも継続することはできないでしょうし、感情が収まった後には・・・相手を求めようという気持ち・・・・やはり周期的に肉欲がやってくるものだと思います。果たして一体自分が仲直りしようとするその根本の動機はなんでしょうか・・・最近では性欲よりも親和欲求からくるものというような考え方もできそうですが・・・よく考えて見たいと思いところですね。


さて、次に自分の妻を殺してしまった男が一体なぜそうなったのかを一緒に汽車に乗り合わせた「私」に語っています。 男は結婚した後、すぐに妻が妊娠したことを知ります。そしてそれは男を嫉妬に悩まさせるのでした。男は妊娠・出産・子育てのこれらの行為が夫婦をますますお互いに憎しみ合わせる原因となっていると主張します。

妊娠した後も果たして夫婦関係を続けるのか? 一般にはこれらのことは出産前後の時期を除いては関係を持ってよい、となっていますが、実際にその時の女の体内で行われている変化を考えて見ると、とても性行為を行うには無理がある、と男は主張します。自然界では通常は「禁欲」なのに自然の法則をやぶるのかと。

そして実際にはその法則を破り、女は懐胎者と授乳者、そして情人というどの動物も堕した事のない存在にならなければならない、というのです。 そしてその三役を務めるのに力が足りないために女の多くがヒステリーを起こし、心に問題を抱えてしまう(当時の社会ではそうだったらしい)と言います。

確かに妊娠・出産・授乳の期間の女の仕事は大変で、そこに男が入る隙間はなかなかない、というのが実際の事です。しかし、依然として繁殖力を落とすことなく多くの男には欲求も存在しています。(その欲求不満状態をここでは「嫉妬」と表現しているのだと思われます)

「私」は、じゃあ男が女を抱けるのは二年に一度ということになりますね? というわけですが・・・果たして新婚当初の男にとってそんなことが可能なのか・・・

この期間、女にとっては大変な作業なのですが、男のとっても「嫉妬」との戦いでもあります。それは若い男にとっては一つの試練かもしれませんね。結婚してすぐに妊娠しないように気をつけたほうがよい、とはよく言われることですが・・・

妊娠・出産・授乳の過程で、禁欲せざる意を得ない時、その相手の男がその問題でガマンしきれなくなり、それが浮気に走る原動力になるということはほとんどないと思いますが、きっかけさえあれば浮気になりやすいということは言えるかも(それがたとえかわいらしい赤ちゃんであったとしても、全ての男がそれが完全な抑止力にはならないと思います)

あまり多くの人が語らない面をトルストイは突いてきますが・・・次はもっと過激な発言です。
男は次に「子供」が夫婦仲を長続きさせない要因にもなっていると指摘します。当時は妊娠も大変なことでしたし、出産に当たっては間違いなく命がけのことでした。少し間違えば死に至るのです。

そして子育てに当たっての子供の健康に対する気遣いは相当なもので、子供達は絶えず様々な病気と闘わなければならず、その度に親は大変な心配をしなければなりませんでした。そんな状態が続く中で夫婦の以前のようなロマンティックな事を続ける事が出来るかといえばそれは皆無でしょう。やがて夫婦は自分のお気に入りの子供を盾にして相手をけん制するようになる、と主張します。(この辺のくだりはやや時代を感じさせるところですね)

そして結婚四年目になると意見の相違が敵意を生むのではなく、敵意が意見の相違を生むというところまで行き着いてしまったのでした。もうここまで行くと何を言っても最初から相手に対しての反対を唱える状態なのです。

子供のことになるとそれぞれが自分の意見に固執するようになります。お互いが自分の言っている事が正しいと思っているので意見の相違に対してそれがちょっとした違いで合っても譲歩することも出来ませんでした。そうするともうお互いに交し合う会話はごく生活に関する基本的なことしかなくなってしまいます。それから少しでも踏み外すようであるならば直ちにバトルが生じてしまうのでした。

これ、本当に今でも多くの夫婦に適応していません?お互いには「もう通じ合わないのだ」というあきらめがあり、そしてお互いのテリトリーを踏み外さぬような会話しか出来なくなる・・・ それは外すとなぜか苛立ちが生じてくる・・・ 「こうなったのもお前のせいだぞ?」そんな言い訳のような思いが湧いてきます。まず自分を正当化しようとするんです。お互いの夢や人生のこと、語り合おうとすることもなくなってしまう・・・ 本当にこの辺のこと読み深めていくと恐ろしいことです。

男の言葉を引用します。

「わたしたちは、一本の鎖につながれて、互いに憎み合い、相手の生活を毒し合いながら、それを見まいと努めている、2人の囚人にひとしかったのです。当時のわたしはまだ知らなかったのですが、九十九パーセントの夫婦がわたしの生きてきたような地獄の生活を送っており、それ以外の場合はありえないのですね。当時わたしはまだ、他人に関しても、そんなことを知らなかったのです。」

皮肉なことに男がこのことに気がついたのは妻を殺害するという事件を起こしてからだったのです。
どうしてこうなってしまったのか?今の夫婦は本当に幸せなんだろうか?夫婦とは一体なんだろうか?本当に心当たりがあるならばよく考えて見たいところです。


――子供を出産して養育する妻の体調がすぐれないために、医者は二人に子供を作るな・・・・性関係を持つな(あるいは当時はやったなんらかの避妊方法かもしれません。その辺は不明)という男にとって残酷なことを勧めます。妻はそれに従い、だんだんと健康を取り戻し、それとともに美貌も取り戻してきたようでした。すると、昔の恋愛の感情を取り戻したかのように美しくなり、他の男の目を引く様になって来たのです。

しかし、相変わらず二人の間は喧嘩が絶えず、しばしば自殺未遂のような出来事も起こったりしました。

その辺の自殺未遂までいたる経過というものを男は語るわけですが、実に痛々しいです。話の発端はある犬が展覧会でメダルをもらったのか賞状をもらったのか、というところからでした。喧嘩の行き先が分かっているので自制したいのですが、それを超える憎しみがそうさせてくれないのです。

妻も同じ状態で男の言葉を全部曲げて解釈をし違う意味をつけるのです。そしてその言葉一つ一つが毒を含み男のプライドをずたずたにする・・・・そう、あとは「黙れ!」と怒鳴るしかありません。そしてずたずたになったプライドは、それを修復しようと相手を更におとしめる為の酷い言葉を浴びせるしかなくなってくるのです。男の口からは自分でもびっくりするような乱暴な言葉が自然に出てきます。そして・・・その言葉を放てば、それを引っ込めることもできず、しばらくはそれに自分を合わせてしまうものでしょう。

ところが一方においては家庭の生活は進行しており、カッカとなってだけいては全く進まないのです。どこかで冷静に理性を利かせなければならないのにどちらかが感情をまったくおさめることができません。それがますます苛立ちを引き起こすものです。

夫婦の喧嘩というものをやってみた事のある人(苦笑)はこのトルストイが記述している夫婦喧嘩の経緯を心苦しくもって読むことでしょう。私もこの辺の当たりは実に心当たりのあることが多く、心痛い限りです。

夫婦であるが故に・・・自分の人間としてあるべき理性が効かない。本当は最も理性を働かせなければならないと思うのに・・・本当に夫婦と言う関係、自分は一体何者?という本当の姿を見せてくれます。それを考えれば・・・相手から尊敬される夫婦関係というのは最高の基準になるのでしょうか。

そんな不安定の関係が続くところへトルハチェフスキーというバイオリニストが二人の前に現れるのです。そしていよいよこの物語のクライマックスへ至ることになります。

男とその妻が定期的に喧嘩を繰り返していた時に、その男の知り合いの社交界のバイオリニスト、トルハチェフスキーが二人の前に現れました。男はトルハチェフスキーを妻に紹介しました。 すぐに音楽の話が始まりましたが、妻は当時大変魅力的であったので、トルハチェフスキーが妻を一目見て気に入った事がわかりました。

妻もピアノを弾いてかつてはバイオリンとの合奏をしていた事があったので妻は喜んだわけですが、男を見るなりすぐにその嫉妬の気持ちを悟って表情を変えたのです。

そして男はそれを悟られまいとわざと嫉妬していないように振舞うというお互いのだましあいが始まりました。男は嫉妬など微塵も感じてないかのそぶりをしながら、妻をトルハチェフスキーから遠ざけることはせず、逆に妻とトルが一緒に合奏できるように便宜をはかってやったのでした。

ところが二人を見ていると、明らかに妻はトルハチェフスキーに対して特別な感情を抱いているのが分かるのです。男はその日の終わりにトルハチェフスキーにまた来るように頼み、一緒に妻と合奏してくれるように頼んだわけです。そこには妻に対しては「嫉妬なんかしてないぞ」、トルハチェフスキーに対しては「お前なんか恐れてないぞ」という虚勢を張りたいだけでした。

ところが男の心の内は二人に対して嫉妬で苦しんでいたということを認めざるを得ませんでした。それだけに虚勢を張ってしまったのです。

その後トルハチェフスキーは男の家にやってきて妻と合奏を始めましたが、トルハチェフスキーの演奏能力、態度、全てをとっても立派なもので自然であったのです。彼が妻を征服して自分の思うままにしてしまうだろうという事がはっきりとわかりました。それが男を苦しめましたが、表面上は実に男をほめ愛想のいい態度をとったのです。心は男を殺してやりたいという気持ちにかられましたがそれに負けないように逆にトルハチェフスキーをちやほやほめるしかなかったのです。

そして知人を招いて演奏会をやりましょうという話をつけることになったのです。

人の嫉妬とプライドは難しいものです。男がプライドを捨て素直であったらよかったのですが・・・全ては自分の嫉妬を見せることによって妻からバカにされる、負けを認めるのを恐れて、心とは裏腹に逆の態度をとり続け悲劇がやってくるのです。

嫉妬は使いようであり、うまく表現することによってお互いを引き寄せることもできるでしょうし・・・・それを邪魔するプライド・・・素直になりたいものですね。

そして、いよいよ話はクライマックスへ。
いやはや、ここから先は重いですね。簡単にあらすじを述べると、

ある時男がいない時に妻と音楽家が二人でいるところを発見した男は、嫉妬に狂い音楽家が去ってしまった後、妻と喧嘩してしまいます。その後妻に正直に嫉妬に狂っていたのだと男は告白するのですが、妻は笑ってそんなことはあるわけがない、とそれを一蹴するのでした。 そしてお客を招待して妻と音楽家との演奏会が始まりました。そこで一番最初に演奏されたのは「クロイツェル・ソナタ」でした。その最初に音を響かせた導入部プレストに男は参ってしまいます。

男の言葉から

「ああ!・・・あのソナタは恐ろしい作品ですね。(略)音楽は魂を高める作用をするなんて言われてますが、あれはでたらめです、嘘ですよ!(略)この音楽ってやつは、それを作った人間のひたっていた心境に、じかにすぐわたしを運んでくれるんですよ。その人間と魂が溶け合い、(略)しかも一番問題なのは、堕落しきった最低の背徳漢でもその催眠術師になれるって点なのです。(略)たとえば、あのクロイツェル・ソナタの導入部のプレストにしても、ですよ。いったい、肌もあらわなデコルテ・ドレスを着た婦人たちの間で、客間で、あんなプレストを演奏していいもんでしょうか?(略)少なくとも私に対しては、あの作品は恐ろしく効き目がありました。気のせいか、まるでそれまで知らなかった、まったく新しい情感や、新しい可能性がひらけたかのようでした。」

そこで今まで妻が見せた事のない姿を男はみたのでした。演奏している時の光り輝く目、端正さ、表情の厳粛さ、演奏後は身も心もすっかり溶けてしまったような風情、かよわい、いじらしい、幸せそうな微笑。

その気持ちを男も妻もお互い共有している感じがあり、男はその晩、すっかり満足したのでした。ところがこの時の瞬間、実は音楽家と妻がその幸せな時を共有していたと思い出すのにしばらく時間がかかったのです。

それは男が家を空けていた時に妻から送られてきた手紙の中にもう会う事もないだろうと思っていたあの音楽家が妻の下を尋ねてきたと書かれてあってからでした。

再び男の言葉を引用
「その時になってやっとわたしは、あの晩、クロイツェル・ソナタのあとで何か情熱的な小品を演奏し終わった時の、あの二人の顔を思い出したのです。(略)忘れもしませんが、わたしがピアノのそばに歩み寄った時、妻は赤く上気した顔の汗をぬぐいながら、かよわい、いじらしい、幸せそうな微笑を浮かべていたものでした。あの二人はすでにあの時、お互いに相手を見るのを避けていましたし、夜食の席であの男が妻に水をついでやった時にはじめて、ちらと顔を見合わせて、かすかにほほえんだのでした。わたしは今頃になって、自分の気づいた、かすかにわかる程度の微笑を秘めたあの眼差しを思い出し、慄然としました。『そうだ、すっかりできてたんだ』」(

男の心の中にメラメラと嫉妬心が湧いてきます。そして妻と音楽家が会っているのではないだろうかと不安に駆られて急いで帰宅します。そしてそこに妻と音楽家が一緒にいるのを発見するのでした。そして、悲劇は訪れます。

「クロイツェル・ソナタ」の演奏によって、今まで見たことのない妻の可能性、素晴らしさが、自分によってでなく、別の男によって開花させられたという事を男の強烈な嫉妬心を燃え上がらせそれが妻を殺害するというところまでに至ってしまいました。この話のタイトルが「クロイツェル・ソナタ」になっているのはこの曲が悲劇への引き金になっているためです。

殺害とはいかないまでも芸能の世界には簡単に起こりえる話だろうなと思います。夫婦のマンネリ化を妨げるためには相手のよさを引き出そうと努めることになるわけですが、生活の中でやがて相手に求めることばかりが多くなり、それが双方の価値を引き出す妨げとなり停滞へつながってきます。そして皮肉なことに他人によって今まで見たことのない自分の相方の「きらめき」を見てしまう・・・いや、他人だからこそ幻のような「きらめき」が発生するのか・・・

本来のエロスとは上向型であり、相手の価値を引き出し高める愛ですが、そのエロスを実践できるのはまだ「他人」という線引きがあるときだけなのでしょうか・・・

――遠出をしていた男は、妻が不倫をしているのではないかという不安に駆られて急いで予定を切り上げて帰宅します。そして予想通りにもう会う事がない、と思っていたそのバイオリニストが妻と合っているのを発見するのです。

嫉妬と怒りの塊になった男の言葉からの引用
「俺は誠実な人間だ。立派な両親の間に生まれてきた子供だ。一生涯、家庭生活の幸福を夢見てきたし、一度も浮気をしたことのない男なんだ・・・それなのに、どうだろう!五人も子供がありながら、あの女は、赤い唇をしているというだけであんな音楽家に抱かれるなんて!」

そしてついにその現場に現れた男は妻を短剣で刺してしまいます。果たしてその現場が本当に不倫の現場であったのか・・・最後の妻の言葉から見て気持ち的にはそうであったのでしょう。話の中では男は子供は失ったがそのために罰せられることはなかったようです(まあ、当時の法はそのようなものだったのでしょう)。

自分自身を誠実で立派な人間だと思い込み、プライドの塊になってしまっている事が男の強烈な嫉妬心と殺意へと駆り立てる原因になっているのは一目瞭然です。自分自身が立派だと思い込むと今度は相方に対する要求もどんどんと強くなってしまいます。そして押し付けが強くなると今度はその要求から外れた相方に対しての怒りが爆発する・・・これが男の家庭内で日常茶飯事になり繰り返されていたわけですが、妻が芸術という名において他人によって美しさを開花させられたために嫉妬心は最高潮へ。

妻の本当に些細な不倫とも言い切れぬ恋愛の切れ端を、男はつかみ嫉妬を燃え上がらせ殺意へ変化させ行動へ移してしまったわけです。もし、この音楽の出来事がなければ、やがてどちらも疲れてお互いが干渉しない、またはどちらかが妥協をして一線を引いた・・・いわゆる一般の「マンネリ夫婦」に落ち着いてしまっていたのかもしれません。

イワン・イリイチの死/クロイツェル・ソナタ (光文社古典新訳文庫)

殺人へと発展してしまったこの小説は、大変極端な悲しい話として多くの読者が見過ごしているのかもしれませんが、夫婦関係で起こりえる様々な問題点をトルストイは見せてくれていると感じます。夫婦関係とは一体何か。結婚・子育てに憧れる人たちには厳しいけれども決してそれは楽なものではないということははっきりしています。なにしろトルストイはそんなものやめとけ、と結論つけてしまったりしているわけですから。 まあ、あまり深く考えすぎない方が返っていいのかもしれませんね。
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書いてる人

現代人の恋愛事情に根ざしているものは、国と時代を超えて語り継がれてきた古典的な恋愛論だと思います。
学生時代は心理学を含めて学術的に恋愛を分析する機会が多かったと思います。こんな私も結婚して既婚者となりました。結婚する前にすべき思考が暗礁に乗り上げるように恋愛論、結婚論について書き進めています。純でガチガチの恋愛ブログです。

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