人を批判する人の心理
「人を批判する」ということは心理的に大変気持ちのいいことです。 人を裁いたり、批判することによって、まるで自分が正義の味方になったような気持ちがします。
一方、相手は怒り、傷つき、悩みそして力を失っていきます。批判のエネルギーはその人の生きる力を弱らせ、確実にダメージを与えていきます。自分の存在またはその分身(創作物など)を否定されることほど苦しいものはありません。
では、その裁いた、批判した人はなぜそのようなことをする必要があったのでしょうか?相手を確実に弱らせ、ダメージを与えるためだったんでしょうか?
実はそこまで裁いたり、批判したりする多くの人たちは相手にダメージを与え、生きる力を奪う結果まではほとんど考えていません。 否定の言葉から来るマイナスのエネルギーのみが一人歩きして相手にダメージを与えてしまうのであり、その言葉を発した本人はその結果がどうなろうとほとんど無頓着なのです。 その言葉の武器を使うその結果を考えない無責任な行為、それが「裁き」あるいは「批判」なのです。
ちょっと大げさに拡大すると、戦争で結果を考えず強力な武器を相手に使用する無責任な行為とあまり変わらないようにも見えてきます。
では、なぜ無責任に私達がそのような行為をする必要があったのかというと、それは心理的な自己満足のためにあります。
人を裁く、批判すると、周りの人がそれで尊敬してくれたり、喜んだり、自分かあたかも偉い立場に立つ錯覚を得る事ができます。自己満足を得なければならない理由は、今の置かれている自分に対しての満足度が足りないからです。 自分の内の過小評価されている不満、寂しさ、苦しさなどがあるために、それらを一時的に発散させるために裁く・批判するなどの行為を行うということが考えられます。
まあ、これは仕方のないことですが、ただし直接相手に言葉をぶつけるという行為だけはやめたほうが良いと思います。心理的に相手がダメージを受け、良心の呵責で苦しむのは自分ですから。 また自分に近い人を批判する行為は回りの人にも行わないほうが良いと思います。その姿はあまり客観的に見て美しくなく、自分の持つ品位を落とします。 また結局自分がそのように裁く・批判するという行為がそのまま自分に帰ってくる結果となったりします。 他人から見れば「この人はこうやって人を批判するんだな」と思われ、ちょっとしたすれ違いがあると「あの人はあの時のように私を批判しているのに違いない」と思われるだけです。
そして人を裁く前に自分はどうなのか、どこまでその言葉に責任を持つのかを考えることも必要なのではないでしょうか。
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