恋愛と独占欲
人間の持つ動物的本能から来る遺伝子のレベルからみた恋愛というものが自然のあり方とするのならば、人間社会は成り立たなくなってしまう可能性が出てきてしまいます。そのため人間は結婚制度を法的に定めることによって社会の秩序を保っています。
しかしながら、やはり人の心や欲望は制限することは出来ず、家庭がありながらも、様々な別の愛の形は存在します。「初恋は忘れられない」とも言うように恋愛の想い出はいつまでも私達の心に残ります。それを取り出しては懐かしむこともあるだろうと思います。
しかし、家庭の中で得られる喜びというものはその恋愛の思い出をしのぎ、恋愛ゆえに家庭が揺らぐことはないというのが正論です。
恋愛よりも生活の中で積み重ねられていく喜びは苦労の上に成り立ちその重みは恋愛の比ではないという理由からになります。ところが家庭の中での本当の喜びを持つ事ができないと恋愛のほうの比重が大きくなったりします。そのようなことはよく起こることですが、自分の中でバランスを失ってそちらばかりに関心を多くもつようになってしまうとトラブルになってしまいます。 心は自由ですが、心に従った結果によって人を悲しませるようなことがあってはならないと思いますし、その辺は双方が責任と自覚を持つ必要がありますよね。
家庭の中での葛藤は一人の時には体験したことのなかったなんらかの学びがそこにあります。それをどう生かすかは個人のときにいかに無条件の愛について考え実践することに関心を持っているかになるのではないかと思うのです。
それが土台の上で初めて条件付愛のエロス(上向)が正しく発動します。 それは相手をより価値ある者にしたいという方向へ向きます。 どちらかが劣るならば上のものが下のものを引き上げ、もっと素晴らしくすることができるはずです。「惚れ直す」ということが起こるということもありえるでしょう。そしてそれは相手に要求することでは決して相手は変わらず、自分が変わって見せたり相手を喜ばせて見たりと結構そのプロセスは地道だけにある程度の忍耐も必要になってきたりします。
恋愛感情も落ち着いた後、相手に期待する「求める愛」(下向のエロス)のまま結婚を始めてしまうと相手のいいところばかりを求め、やがてお互いの愛する根拠・愛する条件は失われ、あれほどよく見えた相手の「きらめき」はしだいに失われていき、決して変わろうとしない惨めな二人がそこに残るというわけです。このように結果は一時的になりいいところに落ち着きません。
ところが恋愛の時には感覚が麻痺しており自分は無条件に与える事ができると全く錯覚しているので気をつけなければならないと思います。
つまり恋愛に入る前から自分の人格についていつも関心を持ちそれをどうするべきがについて取り組む必要があると思います。
結婚がゴールではなく、そこからが自分の別の人生の始まりであるとはよく言われることですが・・・やっぱりそうなっちゃいますね。まだ恋愛に憧れ一人の身の方にはそういってあげることしかないですねー。
ところで、私達は愛に対して敏感ですが、ある人の愛が、自分に向けられている量と、他の人に向けられている量とを比較して、それで優越感に浸ったり、寂しく思ったり、嫉妬したりします。独占欲です。
それはその人が今まで特に気にも掛けなかった人であっても、自分に対して向けられている愛情(それは言葉の数、コミュニケーションの多さ、しぐさ、笑顔など)と別の人に対して向けられている愛情が違った場合においてもそうです。
対してその人を大切にしたわけでもなく、愛情を特別掛けたわけでもないのに、独占欲のせいで、なぜか比較して寂しく思うのです。
また異性同士の普通の友達関係においてもかなり敏感であり、その差を見ただけで、その日の気分が上がったり下がったりもします。
特別な深い関係でもないのに、いざその人が別のところに向くと、なぜか嫉妬心が起こる。
自分の中に自分と関わりのある人は、全て自分でキープしておきたいという自分中心の思いがあるために、そのような思いが起こるのではないでしょうか。
それは例えその人が幸せそうな笑顔をしていても心からその人の立場にたって祝福してあげれない複雑な自分が存在しています。 それは自分の中に強い寂しさが残っているからかもしれません。
強い独占欲はもしかしたら、ちょっと考えの方向性さえ変えれば多くの人を幸せに出来る器を持った人だからかもしれません。 その人の立場にたって「よかったね」と一緒に喜んであげる自分になりたいですね。
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