父親の子供への体罰論
再び父親の話。ちょっと度がすぎるところはあったものの、父親はそれでも大変な子供好きで知らないよその子供にも声をかけて一緒に遊んだりする事ができる人でした。かんしゃくさえなければ本当に人がいいのです。ところが孫の小学校の運動会に見に行った時に、ある子供達が危ない遊びをしていたので注意したところ、全く言うことを聞かなかったので例のごとく手が出てしまったようです。そこの親はカンカン、父親は学校の方からもう来てくれるなという注意を受けてしまいました。そう、もう時代は変わってしまったのです。
しばらく「体罰」という事について考えてみましたが、そのもの自体に関心を向けるよりももっと別のところに注意を向けたほうがよい、と感じました。どっちがよい悪いと考えても意味があまりないことです。
「体罰」は今でも公共の場に登場します。「サザエさん」の波平がカツオにゲンコツをするシーンはよくあることです。「ドラえもん」にも空き地の隣に住む「かみなり」さんも本当に「怖い人」としてしばしば登場します(実はいい人なんですが)。言うことを聞かないわがままな人に平手打ち、それにハッとして涙して何かを悟るシーン。スポ根ではもうお決まり。
それらのシーンと現実とどこが違うのかと言うと、そのシーンになんの悪意も存在しないということです。つまり、反対する立場の人たちは現実の人が怒鳴ったり暴力をしたりするには必ず悪意が存在するという人の魂のマイナス面ばかりを捉えている傾向があるということになります。そしてその悪意と行為が子供の人生に大きくマイナスの影響しか与えないという結論が出たということです。 こうなってしまったからには公共の場に登場する「波平」や「かみなり」おじさんにはもう引っ込んでもらうしかないようですね、この人たちは児童虐待のお手伝いに加担していますよーってね(苦笑) もちろん暴力的シーンは虐待へ連想させるために全て取り除かねばなりません。スポ根は現実にはありえず、悪い影響を与えかねないのでこれもダメ。
体罰には「こらー!」「バカヤロー」などの怒鳴る行為もそれに含まれかねません。大きな声で威嚇することにより子供の精神に深く悪影響を与えかねないからです。個体別に見ると深刻な影響を受けてしまうこともあるかも知れませんものね。
そもそも体罰により、子供に人格に破綻をきたすような深刻な悪い影響を与えるものなのでしょうか?例えば純粋に一回だけの「ゲンコツ」「おしりたたき」というものだけを取り上げてみるとその行為を受けたときに子供にはどのような感情が生じるのでしょうか?そしてどのような影響があるのでしょうか?これは年齢などにも結果は違うと思いますが、単純に「びっくり」「痛い」という結果しかないのでは?
それをどうやって人格破綻に至らしめるほどのダメージという風に解釈されるのでしょうか。私が考えるに二点考えられます。それは「ゲンコツ」「おしりたたき」を行う人の悪意を持った感情(時には威嚇を伴う怒号)が子供に伝わったためだと思います。そしてもう一つは「なんであなたそんな酷いことをするの?」という回りからのその行為は「傷つけるとても酷いものをあなたは受けたのだよ」という解釈が入った子供への「刷り込み」からくるものなのではないでしょうか。 つまり二つの側面により子供は悪影響を受けてしまうということが考えられるのではないでしょうか。 もちろんこれは私自信の体験も含まれています。
つまり「行為」自体には問題はなく、「行為」を行う人と回りの精神状態に問題があるのではないか、ということなのです。このことを考えずに闇雲に「反対」を唱えることは「行為」自体が「悪」、言い換えると暴力とみられる行いは全て「悪」と最初から思い込んでいる人たちの一方的解釈ではないかというこのなのです。そう、この体罰問題が最初から平行線をたどるのはここにあると思っています。
反対の人たちは「波平」に暴力をやめさせるべき、と活動をすべきところではないでしょうか?どうぞやっていただきたいと思います。「体罰」根絶のために。私の意見では体罰以上に深刻な問題は家庭内における「共依存」の関係ではないでしょうか?
あれだけ父親から暴力を受け、憎しみと怒りを募らせていた私が、いざ成長し、どうして父親がそうなってしまったのか同じ立場に立ち、その背景を理解してみると全くなんとも怒りは消えているのです。暴力のみの結果は多くの反対者の方々が心配するよりも深刻な状態を作ることはない、というのが私の経験です。返って私を受け止めずほったらかしにした母親からの影響の方が自分にとっては情緒的問題を抱えて深刻です。そう、子供が育つ過程において悪影響を受けてしまうのは複合的な原因がからんでおり、一概に全てを決め付けることはできないと考えます。
んー、まだまだ出てきそうですが・・・とりあえず今回はここまで^^; 私は一方向的に決め付ける姿勢はよくないということを言いたいのです。積極的体罰賛成論者ではありませんので。私は父親の姿から学び、自分を制するために禁酒を決めているのですから。
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