愛を説明するためにがんばってみた
「愛」は人間がお互いに信頼し社会を気づいていくために必要不可欠なものだと思います。「愛」なくしては決して平和は訪れないですよね。社会そして世界の秩序と平和を維持するためには「愛」は欠かせない要素となると思います。そして「愛」が「愛」らしくあるために必要な条件を考えると「愛」には永遠性・絶対性があるということではないでしょうか。
確かに心ではなんとなくそうじゃないかなと思う人がほとんどではないかと思います。「全人類」を愛するということは多くの人々が希望するところです。そしてその前提条件を覆されるときに平和は壊れ人々の間に恨みが生じることとなります。
ではこの「愛」を身の回りに向けてみた時に身の回りに絶対的といえる愛が存在するのでしょうか。
最近では信じられない事件も多いのですが、まだ「信じられない」という見方をすることができるということは親子の愛は絶対的なものであるという認識があるからだと見ることができます。
絶対ということは何よりも勝るということであり、「命」をかける事ができるといってもいいですよね。
子供に対する愛というのは絶対であり、それは子供のためならば命をかけて愛することができる、ということでもあると思います。
その覚悟ができるということはその人の中に絶対的愛があり、そして絶対的な何かが存在しているということになります。
それでは自分の夫・妻・彼氏・彼女に対してはどうなんでしょうか? 愛は絶対的なんでしょうか? 果たして命をかけることができるほど愛する事が出来るんでしょうか?まあ恋愛の絶頂にあるときは「キミのために死ねる!」なんて叫ぶことはできるでしょうね(笑)。
うーん、まあその関係は所詮「他人」だからなぁ・・・難しいこともあるでしょうね。少しずつこのことについてもうちょっと考えてみます。
愛ってなんぞや?辞書から・・・
まあ、目にも見えないものを定義したりするのは無理がありますね。でも普通、物事を理詰めで説明しようとするとまず最初に必要なことは言葉の定義ということになります。そこでここでは単純に辞書から定義してみます。 まあ、定義といっても所詮形のないものだからどういう特性があるかとかの属性を取り扱うことくらいしかできないのでしょうけどね。
まず『広辞苑』
親兄弟のいつくしみ合う心、広く、人間や生物への思いやり、男女間の、相手を慕う情。恋。かわいがること、大切にすること
これでは愛する対象によって「愛」の意味合いが変わることなりあまりいい説明とはいえません。
次に小学館の『大辞泉』
親子・兄弟などがいつくしみ合う気持ち。また、生あるものをかわいがり大事にする気持ち。異性をいとしいと思う心。男女間の、相手を慕う情。恋。ある物事を好み、大切に思う気持ち。個人的な感情を超越した、幸せを願う深く温かい心。キリスト教で、神が人類をいつくしみ、幸福を与えること。また、他者を自分と同じようにいつくしむこと。仏教で、主として貪愛(とんあい)のこと。自我の欲望に根ざし解脱(げだつ)を妨げるもの。
これも『広辞苑』と同じく用法としての区別しかしておらず、もう少し踏み込んだ言い方があってもいいのではと思います。
最後に三省堂の『大辞林』
対象をかけがえのないものと認め、それに引き付けられる心の動き。また、その気持ちの表れ。(ア)相手をいつくしむ心。相手のために良かれと願う心。 (イ)異性に対して抱く思慕の情。恋。(ウ)何事にもまして、大切にしたいと思う気持ち。キリスト教で、神が人類を限りなく深くいつくしむこと。〔仏〕 人や物にとらわれ、執着すること。むさぼり求めること。渇愛。他人に好ましい印象を与える容貌や振る舞い。あいそ。あいきょう。
この説明が愛をより踏み込んで物理的客観的に説明しており、最も優れているといえると感じます。
「愛」とは相手と一つに(あるいは一緒に)なりたいという心の衝動とその表れとも言い換えることができます。この説明だと対象が人類、親、異性と変わってもそれを当てはめることが可能です。
「引き付けられる」という表現が物理的で非常にいい。つまり宇宙の法則、太陽と地球が引き合うように自然にそうなっちゃうということですね。
「かけがえのないもの」というところから、対象によって(ア)〜(ウ)と感情の質が変わることがわかります。
相手がどのような状態であろうとも「かけがえのない」という気持ちは変わらない絶対的愛のことを意味し、相手に条件を求め自己中心に相手と一つになろうとする自己中心的傾向の愛を指すということがわかります。
そこでここで取り上げる「愛」は『大辞林』で明瞭に説明してある定義をもとに対象をかけがえのない相手と認め、一つになりたいという心の衝動とその表れということで考えてみます。 「一つ」という言葉は状況に応じていろいろと表現の言いかえをすることが可能な言葉で家族から全人類まで当てはめることができる便利な言葉です。
「衝動」とは、なにかわからず発作的に行動する心の動きを意味し、この言葉を使うほうがより的確な表現になります。
「表れ」はその衝動の心のあり方から実際の行動までの表現方法の全てを含みます。
どうです?国語辞典もものによって大きく違うでしょう? ここでは取り扱いませんが実は背景となる編纂者の思想が大きく影響しているんです。
実は絶対的愛については一度過去に取り扱ってしまったのであまりその尺度についてはここでは取り扱いません。その尺度の基準としては新約聖書のコリント人第1の手紙第13章のところがあげられますね。 結婚式などでおそらく使われる有名な箇所のことですよね。まあもし機会があったらみてください。
プラトンのイデア論から見ると実は完全なる「愛」そのものがイデア界に存在しているというわけですが、それと似たような考えで、愛をエネルギーか何かの実際に存在するモノ(私たちの物理的尺度とは別の尺度から見て)として見る見方もあります。「愛」そのものがあるというわけです。
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