子育ての喧嘩は自分の育ち方が原因?
子育てについて夫婦喧嘩が絶えない…そういう現象は、結婚するまでにわかっていればそもそも結婚しなかったはずです。
つまり、この人と結婚してうまくいくかどうかは事前に調べておく必要があるのに、愛していればどんな逆境にも耐えられると勘違いしてしまうのが恋愛期間なんでしょうね。
子育てには人それぞれ考え方があって一概に賛否は問えませんが、肝心なのは子育ては夫婦の共同作業であることです。一見して子育てなんて妻の専業のようになってしまっている夫婦もいますが、やはり妻に任せっきりでも夫としては不満が生じる場合もあります。
ここで、結婚する前から相手との子育て論がおおむね一致するかどうかをきちんと判断しておけば問題ありませんが…では、結婚相手との子育てに関する考え方がおおむね一致するかどうかは、相手の生育歴を知ることだったとは結婚してから知ってしまった私です。
実は、子育てについて、結婚するまでに私はある程度の考え方がありました。ところが、結婚して家庭を持ち、子供ができた後には全く思いがけないことが起こりました。
というのも妻の子育ての仕方・考え方で全く私が考えている事とは異なっていたからです。そして、しばしばやり方について喧嘩をすることとなりました。
喧嘩をしながら理解したことは、これは妻と喧嘩をしても無駄なんだということでした。なぜならば自分が育てられてきた背景の全てを背負って目の前の子供に対していることを、否定することは容易でないからです。
つまりそれを否定することは目の前の妻を否定することになるからです。すなわち、子育てを巡って夫婦喧嘩をしたとてなにも解決はしません。子育てとは、自分がどのように育てられてきたかが絶対的な根拠として受け継がれてゆくものなのでしょうか…?
しかし、私も父親という親でもあるのです。無駄だとわかっていても子供のことを思えばどうしても譲れないところが出てくるわけです。子育ては父親と母親の共同作業ですから。
例えば、それはテレビをどれくらい見させるかとか、夜に寝る前に必ず歯を磨かせるとかいう細かいところから始まると、それについて誰が責任を持つのかというところで妻は、結構子供が嫌がるようなことを私に責任を任せようとしたりします。
日頃から家にいないことが多い私にとっては、子供が私から情が離れることを考えるとあまり子供が嫌がることばかりに責任を持ちたくないところでした。
そして妻自体もそのことが苦手のように見えるので「私はいつもいないんだからそれはあなたがやったほうが子供のためにいい」とついやってしまうわけです。
そして子供をどこで甘やかすか、どこで厳しくやるかの問題は、理論的に整理され「こうでなければならない」というのがしっかりと入ったコチコチの私(笑)と「なんとかなるさ」の流れに任せる妻とでは絶えずぶつかり合いが生じます。
これは時間をかけて整理していたら子育ては終わってしまうので、とにかく気づいたほうのどちらかが妥協して自分を否定しながら足りないところの役割を果たしていくしかありません。
その場合は気づいた方は、多少の忍耐・我慢・犠牲?が必要となります。これも愛とは忍耐であるともいわれるゆえんでしょうかね?
これは意外と一般的には表面に出てこない家庭内での葛藤の一つでしょうね。
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