無償の愛とは恋愛に発展することのない愛だ
2016年6月24日金曜日 無償の愛
愛には無償の愛と条件的愛があるということを主張します。もし人が、無償の愛のみを実践しようと考えるならば、実は男女間の間に恋愛感情がたとえ起きたとしてもその無償の愛の実践のためにその恋愛感情を実らすということができなくなってしまう理屈が成立します。
むろん、最初から無償の愛のみを実践する人は、まず男女の差別をしませんので結婚はあり得ません。ここでは無償の愛の大切さを知っており、私よりも相手のことをまず考えるという発想方法でそれを男女間にも実践しようと考えているという発展途上の人の場合です。
恋愛を想定するに当たり、相手と自分のもっている内容を比較するということがあると思います。 例えば容姿・経済的背景・知的背景・人格的背景など。そして自分の幸せのことを考えると多くの人が自分よりも多くのものを持っている相手と一緒になりたいと考えることでしょう。
そしてそのような人との出会いが起こったときに恋愛感情が生じることとなります。そのときは相手が素晴らしく見えていることでしょう。
このときに起こる不安として自分が相手にとってふさわしいかどうかわからないということが起きます。
自分が相手にとってふさわしいのかどうか? 相手が素晴らしい人に見えるほどその不安は大きくなります。相手の素晴らしい価値が自分と一緒にいることによって下がるのではという不安が起こります。
これを考えることの出来る人は自分を本当によく知っており、自己中心愛の本質をよく知っている人だと思います。
恋愛から本来の愛へと発展できず自己中心愛を実践したままだと、相手の素晴らしさ・価値を高めることが出来ず、お互いを引き下げる形となりやすいようです。そのことが原因で別居したり、離婚したりする有名人は多いのではないでしょうか。
これを考えるとまず理想の相手を求めるけれども、現実は、不安にならないように自分につりあう「それなりの人」を考えるところに落ち着くと思われます。
つまり自分の内容に応じて相手のレベルが決まる現象の要因の一つになります。
この不安を感じないように素晴らしい相手との出会いを求めるならば、やはり自分自身を磨くことしかないということになります。
しかしどのように努力しても、相手の素晴らしさが見えたときに自分の中に起きる不安は起きてしまうかもしれません。
これは略奪愛をする人にもある面、起きることだと考えられます。つまりその相手の輝きによってそれを奪いに来る人が別に現れるのではという不安ですね。 それは自分がその立場になったら、そう思うからです。
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