エゴによる恋愛と結婚
恋愛は人間にエゴを発揮させ、親友でさえもそのために裏切り死に追いやってしまう場合があるとしたら「恋愛は罪悪」だと仮定することができます。愛する人と親友のことを思い自分が身を引いた結果幸福感を得ることができず、やはり愛のために親友を裏切り駆け落ちしていく姿。相手の幸せを考え自分が身を引くという本来の「人のために」という愛を実践するならば、いつまでも身を引き続けることになりかねず、個人の幸福を得ることはできないということになります。
つまり「恋愛」→「結婚」という構図では通常の考え方では、単純に考えると人間のエゴを発揮させねば結婚にいたることはできないということになってしまいます。
確かに動物の世界においては優秀な遺伝子を残すということに宇宙の法則においては主眼が置かれているようで、それを適応すれば優秀な遺伝子を残すということでエゴを発揮させても問題はないということになります。
では、果たしてそのようなエゴによる結婚で人間は幸福になれるでしょうか? それはお互いが相手のことを受け止め思いやるという本来の愛の性格を適応せねばかなり厳しいという現実が待っています。 人間の男女関係は単なるオスとメスの関係とは違うのではないでしょうか。
しかし、本来の愛の性格を発揮させると個人の幸福がやってこないということになります。そうすると・・・なにか矛盾が生じてしまいますね
相手に自分がふさわしいか否かは、自分では勝手に決められないでしょう。それこそ、相手がどう考えるか、が大事なはず。だから、互いに選び選ばれる、のだと思います。
自分が身を引けば、幸せになるという思いこみは、本来の「人のために」という愛からは、はずれてしまっています。その「人」のなかには、自分も含まれているべきです。自分を大事にしない人間は、ちゃんと異性を愛し、友人を思いやることも出来ないのではないでしょうか。
自分を深く見つめる人の中には「本当にこんな自分で大丈夫なのだろうか」ということまで考えます。相手が輝いて見えれば見えるほど、その人を何時までも輝かせていたいと思うでしょうし、自分がそのように相手を輝かせる資格や内容が足りないと感じるものです。自分が幸せになりたいと単純に思うだけでは本当にうまく行かないし、やっぱり自分の相手は自分の今のレベルに相応しいものとなってしまう、と思います。
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