愛されないことは存在否定につながるも自覚できないのは自分を守るため
子育てとして、3歳くらいまでは十分に愛されなければならないのですが、もしも、愛されずに育った場合、将来、その子供の人格に大きな影響を与えることとなります。
「自分は愛されていない」は「自分は存在を認められていない」ということにつながり、潜在的に不安感を持つようになります。反面、自分の存在価値のなさを自覚しながら生きることはできないので「自分は愛されてきた」というように自分を肯定するように防衛機能が働きます。自分を守るために自分にウソをつくわけです。
また、「愛」そのものがわからないように自分の愛の感性を鈍くさせてしまう、ということも起こります。「本来のあるがままの自分」にふたをしたような状態です。
ほんの数年前になって初めて母親が私に告白をしてくれました。体が病弱であった私は、母親にとってはお荷物でしばしば泣き続ける私はほったらかしにされていたということでした。
また、母親が長女ゆえにスキンシップの愛を十分受けたことがなく、スキンシップに対しての嫌悪感をもっていたということでした。
それらは初めて聞かされる内容で、実はそれまでの私は、母親とは命をかけ自分を犠牲にして十分に愛してくれており、誇るべき母親だと思っていたのです。
ところが、私の人生を振り返ってみると自分自身が全く不安で宇宙の中にぽつんと一人取り残されたような心の不安を絶えず感じており、それとの戦いであったということがわかりました。
それでも、スキンシップと子供が好きな父親により愛を直接的に受けていたために全く子供に対して愛情がわかないということはありません。
しかしそれは自分の子供に対しての限定的なものであり、他人の子供に対しては今なおどのように接するべきかがわからないところです。すりよってくる子供に「こっちに近寄らないで、あっちに行って」などと突っぱねたり……母親から十分に愛されなかったことから来る心の不安は人生に大きく影響を与えます。ある人はまったくの友達・恋人依存症になったり、自分の心のなかに入らないようにまた入られないように、自分の心のなかに心のガードを硬く作り上げたりします。あるがままの自分を見せないようにしてしまうんです。
ある人は現実と向き合うことをやめ「霊」「空想」などの別の世界に入ってしまうこともあります。(幼児虐待をうけたケースに多い)
本当の「心の友」を持つことができず、能力と多くの実績がある人ほど「あるがままの自分」を見せることができない場合が多いです。そして本来の心を成長させるチャンスを失った場合、家庭を持ち子供ができたときに問題が生じることになります。
また、自分の心の内面まで深く掘り下げる行為を行ったことがないので人間関係が薄くそして広いものへとなっていきます。なぜならば数を増やさないと心が不安だからです。そして「あるがままの自分」を見せることのできた異性が自分の恋人となるでしょう。しかし自分の内面が改善されていないと「自分を受け入れて」という自己中心的性格をもつ愛情しか表すことができず、この場合すぐに破綻することとなるでしょう。
こういうときだからこそ、瞑想、祈り、内省、カウンセリングなど自分の心を深く掘り下げる行為を持ちたいものです。
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