結婚は愛の象徴に見えても性と宗教に無力である場合がある
今どきの結婚観や恋愛論に照らせば、昔は愛のあり方を純粋に考える人が多くいたんだなと思います。今の恋愛傾向からすればとてもじゃない青すぎる恋愛論もありますし、「昔は…」なんて思考はナンセンスでありながらも、しかしそこに男女の本質みたいなものが存在するとも考えられます。ロシアの文豪トルストイは、ドラマティックな恋愛小説を完成した後に、突然世の中の性的退廃をなげき男女の愛の本質を暴露した本を書き始めました。
その中の一つ「悪魔」、男という名の生き物に宿る、愛と性の矛盾が描かれています。クロイツェル・ソナタという作品と二編セットになっています。両作品とも、愛と性の矛盾を描いた作品です。
あらすじを簡単に言いましょう。
独身貴族の男が、結婚する前に関係を持った魅惑的な女との快楽を忘れることができず、自分を純粋に愛してくれる女と結婚した後も、その一途な愛を理解しているにもかかわらずに魅惑的な女との関係をもう一度求める気持ちに駆られます。その気持ちは結婚した妻に対する極度の罪悪感となり、最後には自死に至るストーリーです。
このストーリーは典型的な愛と性の矛盾であり、時代も国境も越え、現代日本人の男性既婚者にが潜在的に秘められた欲望でもあります。
そのわかりやすい例が、旦那の引き出しからそれっぽい雑誌やDVDを見つけてしまい、胸を冷やす思いがした…なんていう話です。あるいは、配偶者のスマホアプリなどにそれっぽいアイコンをみかけてしまったとか…
もっとも、そのような経験の無い女性既婚者の方であっても、男の根本的な愛と性の矛盾について理解するという趣旨で、この作品を手にする機会があっても良いかもしれません。
さて、このようなストーリー性は、ストイックだけれども読んでいるとチクチクするのは私だけでしょうか? 結婚して配偶者への愛は永遠であり偽りもない。だとしても、その愛と性が永遠に一致するかというとそうでもない。ただただ単純に身につまされるわけです。
もう一作品、
大変難解なアンドレイ・ジットの「狭き門」です。ジットはこれでノーベル文学賞を獲得しました。これはキリスト教をよく知らない人は理解しがたい話です。
まずはジェロームと美しいアリサの恋愛が延々と続きます。そして二人の意思の確認後、長距離恋愛が始まります。この遠距離恋愛中、文学的にも美しい愛の文通があります。ロマンティックな盛り上がりの中でさあいよいよ二人が結ばれるのかと思いきや……アリサが恋愛を打ち切り、突然修道院に入ってそこで亡くなってしまいます。
アリサは自分が不倫によって生まれた子供である事実を罪深く感じた為、ジェロームとの結婚は彼を不幸にしてしまうと考えたのです。キリスト教信者であった彼女は罪深い自分の救いを求めて修道女となってしまいます。
ところで、結婚することによってその人の持っている価値がさがるという考え方は多くの宗教・思想に存在しています。
「狭き門」での考え方は、親が犯した過ちと同じ考え方や動機を自分は引き継いでおり、結婚することによって相手に迷惑をかけてしまうばかりかその子供に同じものを受け継がせてしまうので、むしろ、より高い神の愛を追求して自らを浄化したい、ということになると思います。
相手のことをそこまで思うという、多くの人は理解しがたい考え方になりますが、そこまで結論付け、独身を通す人も地球上には存在します。
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